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日向村:紀伊続風土記(現代語訳)


日向村 ひなた

 田畑高 329石4斗7合
 家数  78軒
 人数  328人

小野村の艮(※東北※)19町にある。村居は北の山足に散在して日に向かった地である。日向の名はこれより起こる。

日向明神社  境内周1町40間
村の中にある。文明11年造営の棟札がある。神名を載せていない。永正10年の棟札には日向太神とある。土人は四社明神という。那賀郡の天野四社明神を祭っているのであろう。村名によって日向太神と称するのであろう。下の千福寺の条を併せ見るべし。社の寅の方(※北東微南※)1町余りに旧社の跡がある。思うに、古はひとつの境内であったのだろう。境内に6抱えばかりのクスノキがある。この社は古は小野日向西山東山の4ヶ村の産土神であったが、今は林村の八幡宮を産土神とすることは荘論に出している。

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氏神社  社地周8間、村の南にある。

千福寺  境内周28間
   真言宗古義林村鷲峯寺末
村の西にある。往古は伽藍地で、日向明神の別当寺である。弘法大師が高野山を開く前、この地に伽藍を建て終焉の地にしようとした地であると相伝えていう。考えるに、今の伝えにより、且つ日向明神を四社明神というのを見ると日向明神は丹生明神でこの地は高野山に縁がある地だと思われる。『三代実録』に「貞観18年、金剛峰寺の水陸田38町は紀伊国の伊都・那賀・名草牟婁の4郡にあり、その租を勅命により免除され、永く寺田となす」とある。また永承4年の官符に「金剛峰寺領田云々牟婁郡水田18町6反294歩」とある。高野領の当郡にある所で他に見はるる所がないときはこの地がこれであろう。日向明神の古の氏下小野・日向・西山・東山などが古の高野領であろう。丹生明神をも祭って当寺をその別当寺に建てたのであろう。

後、林村の八幡宮を勧請したことから遂にその社僧6ヶ寺のひとつとなった。湯川家がこの地を治めていたとき、諸堂を修復したという。後、諸堂舎みな廃して、今この堂1宇がわずかにある。おおよそ400年余りを経た物と見える。土地の人は飛騨の工匠の作といい伝える。本尊の十一面観音は古仏でとりわけすぐれている。堂付きの山林が1ヶ所ある。古は寺付きの 田が多くあったが、慶長検地のときにみな廃したという。

西福寺  境内周12間
   真言宗古義林村鷲峯寺末
村の南にある。本尊は裸形の阿弥陀である。古は林村の八幡宮の社僧6ヶ寺のひとつである。寺付きの田が10石余りあったが、慶長検地のときにみな廃したという。

里境菴  境内周14間、村の北にある。日向明神の本地という。

地蔵堂  境内周30間、村の南にある。

砦跡
村の中、日向明神の東にある。東西27間、南北36間。湯川宮内少輔光春の砦跡だという。

和歌山県田辺市上芳養

読み方:わかやまけん たなべし かみはや

郵便番号:〒646-0101

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