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本宮 王子:紀伊続風土記(現代語訳)


本宮 王子

 

中古、熊野御幸がしばしばあった頃、その道中に王子社というのが多くあり、いま俗に九十九王子の社があったという。九十九はその大体の数で、正しく何十社あったということは詳らかでない。『御幸記』によると、山城国久世郡木津郷の辺から初めて王子の名が見える。その文に「申始許著木津先約拝王子人々前後会合良久御船著御」と見える(約拝の2字は拝駒が誤って上下になったのであろう。いま木津の辺に下狛村がある。その地に若一王子社があって、そお神宮寺を若王寺という。その社は狛にあることから狛王子といい、同訓の駒の字を借りて書いたもので、先ず駒王子を拝すと注したのであろう)。

これを初めとして次の坂口王子、次にコウト王子、それから天王寺にお詣りになって,6日阿部野王子,次に住吉社、次に境王子,次に大鳥居新王子、 次に篠田王子,次に平松王子。7日に井口王子,次に池田王子、次に浅宇川王子,次に鞍持王子、次に胡木新王子、次にサ野王子、次に籾井王子、次に厩戸王子。8日に信達一之瀬王子、次に地藏堂王子、次にウハ目王子、次に中山王子(中山はひょっとして山中を上下に誤ったものか。前の駒王子の誤った例もある。今も山中の駅がある。しかしながら『太平記』に紀の中山ということが見えるので中山ともいったのだろうか)、次に山口王子云々とある。山口王子以下は各郡の部に詳らかである。この記には王子の名はすべてで70余見えるけれども、他の古書に見えてこの記に漏れているものも多く、いま社があってこの記にないものも多い。
  藤原定家『後鳥羽院熊野御幸記』現代語訳1 京~藤代

さて、奉幣御拝等のさまはおごそかなものと疎なものとがある。詳らかに『御幸記』に見える。これは御幸のとき道中で熊野の神を遥拝なさるために場を設けたのであろう。もとより社がある所はこれを用いられ、あるいは新たに社を建てられた所もある。すべて王子と称して地名を配して某王子と呼びなしたのだ。考えるに、宇多上皇の御幸の頃はいまだ道中に王子社があった様子は見えない。増基が『いほぬし』に「御山に着いたところ、木の根元毎に手向けの神が多いので、水のみに泊まった」とあるので、この頃は水飲の辺に多くの小社があったのであろうが、『御幸記』にはそのような様子にも見えない。今も水飲王子の外はないのを思うと、以前は諸王子社,末社が多くここにあったのを、御幸が盛んになって、追々その道路に移し配って事を広くしたのであろう。だから白河上皇の御幸の頃からもっぱら王子の説が行われて道中に多く建てることとなったのであろう。
  増基法師『いほぬし』

和歌山県田辺市本宮町本宮1110

読み方:わかやまけん たなべし ほんぐうちょう ほんぐう

郵便番号:〒647-1731

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