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生馬村:紀伊続風土記(現代語訳)


生馬村 いくま 小名 生馬谷(いくまだに) 山王(さんおう) 救馬谷(すくまだに)

 田畑高 674石3斗2升2合4勺
 家数  255軒
 人数  991人

朝来村の巽(※東南※)2町半にあって、岩田川に添う。小名が3つある。川を隔てて南にあるのを山王といい、巽(※東南※)14町にあるのを生馬谷という。生馬谷は深くてだいたい荘の巽(※東南※)を尽くす。その渓流3里ばかりは民家がまた多くて本村に優っている。本村の北20里ばかりにあるのを救馬谷という。生馬・救馬、その意味は詳らかでない。この地は永正年間に安宅大炊之助俊判の領地であったと村の中の山王社の棟札に見える。

山王社  境内周200間
 本社5社  護摩堂  拝殿
小名山王にある。1村の産土神である。永正14年領主安宅大炊之助俊判三の宮修営の棟札、天文15年山本治部少輔忠朝二の宮修造の棟札がある。

稲荷社  境内森山周2町
小名生馬谷にある。産土神である。拝殿がある。

小祠2社
 愛宕社  社地周40間、小名山王にある。
 祇園社  社地周40間、小名生馬谷の口にある。

観音寺  大貴山  浄土宗鎮西派京知恩院末
 本堂  僧坊  鐘楼
小名生馬谷の中根という所にある 。

小堂2宇  禅宗関山派村中円鏡寺末。上の片山という所にある。
 観音堂   境内周280間、小名救馬谷の山の上巌窟の中にある。
 阿弥陀堂  村の中の下生馬という所にある。山本氏の念持仏という。

生馬谷川
源は安宅荘玉伝村との堺、麦粉ガ森より流れ出て村の中で岩田川に落ち合う。流れる距離は3里ばかり。

蛇喰城跡 
小名生馬谷の中の富田荘社川村との界の山上にある。山本兵部の城跡と言い伝える。

孝行人
小名生馬谷の善七という者が母に仕えて孝を尽くす。天明4年領主より米3俵を与えて褒賞する。

和歌山県西牟婁郡上富田町生馬

読み方:わかやまけん にしむろぐん かみとんだちょう いくま

郵便番号:〒649-2103

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牟婁郡:紀伊続風土記