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岩田川(岩田郷):紀伊続風土記(現代語訳)


岩田郷

岩田川
栗栖川の下流で栗栖川荘北郡村領より当郷の鮎川村領に入り、艮(※東北※)より坤(※西南※)に貫き郷中の枝渓を合わせ3里余流れて岩崎村との境で富田荘に入って富田川と称する。栗栖川荘真砂村まで舟便が通っている。熊野の古道はこの川に沿って登る。

□続拾遺集  熊野にまゐらせ給ひける時岩田川にてよませ給ひける
                           華山院御製
 岩田川わたる心の深ければ 神もあはれとおもはざらめや

  熊野の歌:花山院

□玉葉集  夏熊野へまゐりけるにいはたといふ所にてすずみて下向しける人のつけて京なる同行のもとにつかはしける
                           西行法師
 松がねの岩田のきしの夕涼み 君があれなとおもほゆるかな

  熊野の歌:西行法師

□続千載集  題しらず
                           前大納言為家
 五月雨はゆくさきふかし岩田川 わたる瀬ごとに水まさりつゝ

  熊野の歌:藤原為家

□同  わづらふ事ありて久しく熊野にまふで侍らざりける比よみ侍りける
                           権大納言公順
 おもひやる袖もぬれけり岩田川 わたりなれにしせぜのしら波

□新千載集  百首歌奉りし時祝ひ
                           権僧正良瑜
 おのづから神もしるらむ岩田川 いはねど□かくたの□心を

□夫木抄  十二首御歌の中
                           知徳門院
 わたる瀬も春はせかれていはた川 花こ たゝめ浪のしがらみ

□夫木抄  馬
                           後鳥羽院御製
 いわた川谷の雲間にむら消えて とどむる駒の声もほのかに

  熊野の歌:後鳥羽院

□拾遺愚草  河辺落葉
                           権中納言定家
 そめし秋をくれぬとたれかいはた川 また波こゆる冬のよの月
                        イニ山姫の袖

  熊野の歌:藤原定家

□源平盛衰記

三位中将入道は日数経れば岩田川に着給ひて一の瀬のこりをかき給ひ我都に留め置し妻子の事露おもひ忘るゝひまなければさこそ罪深かるらめども一度この河をわたるもの無始の罪業悉滅すなれば 今は愛執煩悩の垢をすゝぎぬらむとたのもしげに仰られて

 いはた川誓の船に棹さして 沈む我身も浮びぬるかな

  熊野の説話:平家物語9 平維盛の熊野詣

□ある伝に、
後白河法皇の御生前は熊野で蓮華坊といった僧である。仏道修行の功によって今帝位に転世した。前生の髑髏が岩田川の水底にあって柳樹がつらぬき生えて風が吹く毎に動き揺するので今の御身に応じて平日頭痛の御悩みがあって、夢をご覧になってすぐさま岩田川を探って髑髏を見つけ、これを観音の頭中に籠めて三十三間堂を造って蓮華王院と号し、かの柳樹を堂の梁としたという(京平等寺の縁起に出ているとか)。

このことはもと『古事談』に、
晴明は俗人ながら那智千日の行者である。毎日一時瀧に立って打たれた。前生も尊い大峯の行者である云々。花山院在位の御時、花山天皇は頭痛に悩まされ、雨のあるときには特に頭痛が起こった。種々の治療を試みても効果はなかった云々。
そこで晴明朝臣が申し上げて言った、「前生は尊い行者でいらっしゃいました。大峯の某宿において入滅、前生に行った徳に応じて天子の身に生まれたのですが、前生の髑髏が大峰の山中の岩のはざまに落ちおさまっていますので、雨降りの日には岩が膨らむ物なの間がつまる間、今生、このように痛まれるのです。よって御治療では治りません。御首を取り出して、広い場所に置かれれば平癒するでしょうとのことで、御首はしかじかの谷底にあると教えて、人を遣わしてこれを見させると申したことに相違なく、首を取り出された後は御頭痛はすっかり平癒なさった云々、

このように見えて後白河院ではあられず、花山院の御事と見え、また大峯とだけあって岩田川の名も柳樹のことも蓮華王院の事も見えない。元来、晴明の奇特をいおうとしていい出した風説であったろうものを後世、僧侶が牽強してこのように世にも伝えたのであろう。元来、鳥羽上皇が得長壽院を造立して一千体の観音を安置し、後に改めて蓮華王院と号したという方が本説であろう。

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