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上野村:紀伊続風土記(現代語訳)


上野村 うわの

川瀬村の巽(※東南※)5町余、谷の上流にある。尾呂志荘の本郷である。東の方は坂本村へ半里。木本郷の木本浦への往還である。この地は尾呂志川の上流で、西山郷平谷村の界の山峰が北を塞ぎ、渓筋は南に向かって開け、やや平田があって高1000石余に及ぶ。ゆえに上野と称する。

長徳寺  宝珠山 境内東西30間、南北25間
    禅宗曹洞派有馬荘奥有馬安楽寺末
 本堂(9間半、6間半)  僧坊  土蔵
 鎮守社
村中にある。古は宝珠山大乗寺といった。周防国龍文寺4代大庵和尚の開山である。大庵は文明頃の人である。尾呂志氏が代々大乗寺に高60石を寄付した。尾呂志氏が衰えて天正の頃、尾呂志孫次郎(一説に伝兵衛という)が堀内氏に属す。寺を今の地に移し、寺号を長徳寺と改めた。安房守が改めて高20石を寄付する。そのときの主僧4代嶽翁玄才和尚が参内して無若の2字を賜わり、智明円鑑禅師の号を賜わる(※中略※)。安房守が7条の禁制を定める(※中略※)。浅野氏が慶長検地帳のとき寺領を没収し、高5石5斗を寄付する。元和封初これにより給わった。

什宝に大庵和尚法衣(付属宗致首座文明壬辰8月22日前総持大庵□とある)朝鮮嘉靖製子繧帷帳がある。大きさ方6尺ばかり。文がある。文字は悉く糸で縫い込んである。いまこれを被に作っている。朝鮮木黒塗水瓶1対、朝鮮釈迦文殊普賢古書3幅等を伝えている。朝鮮の品は豊太閤韓征のとき孫次郎が獲って来た物という。末寺が9ヶ寺ある。

古城跡  東西26間、南北29間

古土居跡  東西46間、南北26間
村中にある。尾呂志孫次郎の城跡という。堀の形が遺っている。いま民舎となる。周囲3丈7尺余の大杉が1本ある。土居は孫次郎の元屋敷と言い伝えている。いま田畑となる。尾呂志孫次郎は天正年間の人で、その家系は詳らかでない。尾呂志荘の領主である。堀内安房守に属し、豊太閤遠征のとき、孫次郎が徴発に応じ、朝鮮に渡る。

長亨2年に尾呂志氏より栗栖村片川村矢野川村の3ヶ村立合山定文書に尾呂志殿内城大夫半左衛門というのがある(文書は栗栖村にある)。大馬権現の永禄の棟札に尾呂志殿というのがある。孫次郎はその子孫である。

三重県南牟婁郡御浜町上野

読み方:みえけん みなみむろぐん みはまちょう うわの

郵便番号:〒519-5322

御浜町の観光スポット宿泊施設

牟婁郡:紀伊続風土記