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下三栖村:紀伊続風土記(現代語訳)


下三栖村 しもみす

 田畑高 781石3斗8升5合1勺
 家数  99軒
 人数  452人

上万呂村の艮(※東北※)15町にある。北は秋津荘上秋津村と界する。

中ノ宮牛頭天王社  境内周100間
 末社3社 若宮 八幡宮 弁財天社
 拝殿
村の東にある。1村の産土神である。

影見王子社  境内森山周90間
村の巽(※東南※)岩田郷岡村に越える道にある。『御幸記』に「みすの山王子」とあるのがこれである。古御神社辺の谷川にて影をおうつしになってこの社に鎮座したため影見いう、と土地の人はいう。
  熊野旅行記:藤原定家『後鳥羽院熊野御幸記』現代語訳3
  藤原定家の後鳥羽院熊野御幸記を現代語訳 1201年10月13日

知法寺  瀧口山 禅宗関山派田辺城下海蔵寺末
村の南の山麓にある。堂(7間、5間」)、僧坊などがある。

巌屋観音堂  境内山周130間
村の巽(※東南※)、3町ばかり登った所に岩穴がある。高さ7間半、横13間、深さ4間)、斜なる岩の上に掛け作りの堂を作り巌石をもって牆屋に当てる。古は巌山普門寺といったとのこと。堂は5間に3間である。

地蔵堂
小名高坊という所にある。万治2年、村の中で、五郎という者が獄に繋がれたがこの地蔵に祈り夢のお告げを得て死罪を逃れた。よって土地の人は五郎地蔵と唱える。僧坊がある。

如来堂  境内周130間
村の中にある。榎本某の家記にこの堂のことを記していう、一条帝の御時、尾張国熱田に定尊という僧がいた。夢のお告げによって信州善光寺の如来の像7体を模し所々に安置する。その1体を当所に安置し伽藍を造立して浄覚山報恩寺と号した。白河帝の御時に再建して後度々廃壊したのを榎本氏がそれぞれの時期修造したという。

小堂3宇
 辻堂 境内周12間。村の中にある。
 阿弥陀堂2宇 ひとつは境内周130間、村の中にある。ひとつは境内周14間、村の北、小名堀という所にある。

龍口城跡
村の巽(※東南※)にある。東西20間、南北50間。榎本某の家記に「山本数馬の弟岡村の地頭楠本六郎が御簾ノ荘を奪って龍口山の城に居住した後、熊野の衆徒がこれを取って古のように神領とした。その後、藤堂与右衛門青木勘兵衛宇野若狭守が攻め落とす」とある。またある記に「楠本六郎が三好と戦ったとき当城に攻め入り雑兵73人を討つ。これより山本氏に扶助せられる」とある。

孝子
村民の善大夫という者は、夫婦継母に孝を尽くしていることをもって享和2年領主より米5俵を与えて報賞する。

旧家   榎本氏

和歌山県田辺市下三栖

読み方:わかやまけん たなべし しもみす

郵便番号:〒646-0216

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