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下田原浦:紀伊続風土記(現代語訳)


下田原浦 しもたはら 「はら」、土地の人は「わら」と呼ぶ

三前郷津荷村の寅の方(※北東微南※)31町にある。大辺路往還で海浜である。田畑が平原にあるので田原と号する。その上下に分かれたのがいつのときなのかはわからない。この村は大田荘の西の端にあって、これより東を奥熊野とする。

小祠4社

檀那寺  久月山 禅宗臨済派若山禅林寺末、村の中にある。

佐部川
源は佐部村の奥、色川郷の楠村との界から出るのと、上田原村の北、色川郷小匠村との界から流れ出るのとが、上田原村領で落ち合い、3里ばかり流れて当村に至って海に入る。

一里塚
村の艮(※東北※)41町、大辺路街道にある。これより東を新宮領とする。田原上中下は古くは1村で下田原浦より奥熊野の地であるが、今は下田原浦は古座組に属するので口熊野とする。ゆえにこの一里塚が自然に口奥の界のようになっている。

和歌山県東牟婁郡串本町田原

読み方:わかやまけん ひがしむろぐん くしもとちょう たわら

郵便番号:〒649-4112

串本町の観光スポット宿泊施設

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牟婁郡:紀伊続風土記