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道湯川村:紀伊続風土記(現代語訳)


道湯川村 どうのゆかわ 小名 三越峠(みこしとうげ) 熊瀬河(くませがわ) 栃野河(とちのがわ)

 田畑高 43石5升6合
 家数  12軒
 人数  44人

野中村の東2里にある。西は小広峠を村境とし、東は三越峠をもって熊野口奥の境とする。『御幸記』に「夜中に湯河宿所に着く。道はごつごつして険しく、夜に行くのははなはだ恐ろしい」とあるのがこの地である。
  熊野旅行記:藤原定家『後鳥羽院熊野御幸記』現代語訳3

この1村は岩神・三越2峰の下にあって、四面重巌環合して樹林蒙密である。よって溪中を過ぎるのに太陽が上にあっても光を視ることなく、翠靄が衣装に付いて夜露が濡らすかのようである。故に熊野街道にあるが、人家は希少で最寒□である。

小広峠より東は渓流ことごとく東に流れて熊野川に入り、荘中の当村の諸川と流れが異なる(考えるに当村を四番荘に入れて口奥の堺とすることにはその謂れがないようなものだが、広見川の水源が西に向かって当村の後を過ぎて流れるので、その地形によってこのように定めたのであろう)。古は湯川とだけ言ったのを後に本宮の湯川に対して往還にあるため、これを道湯川といい、本宮の湯川を下湯川と称え分けたのであろう。

小名熊瀬河は小広峠にある。三越峠は村の東にある。栃野河は女夫坂(めおとざか)の間にある。みな往還にある。茶店がそれぞれ1軒ある。日高郡の小松原の城主湯川氏は、本姓は武田である。この地に居ることからついに湯川を氏としたという。

若一王子社  境内周24間
村の中にある。社地に7抱えのケヤキがある。

比曾原王子
  熊野の観光名所:比曾原王子

岩神王子旧址  境内周98間
村の西、岩神峠にある。『御幸記』には「イハ神」と見える。近年まで社があったが、今は社も印もなく、ただ峠の北の方の少し平らな所を旧址という。毎年祭日に旧址に神酒を供える。
  熊野旅行記:藤原定家『後鳥羽院熊野御幸記』現代語訳3

岩神峠
村の乾にある。坂道は峠まで14町余。

散木集  中宮亮仲実まゐりけるに かは     俊頼朝臣

 雲のゐるみこし岩神こえん日は そふる心にかかれゝとぞおもふ

また日高郡小松原の城主湯川氏の祖は岩神峠の強盗を退治した。その功をもって封邑を賜わったと相伝える。その岩神峠はこの地である。

草鞋峠
岩神峠の西にある。世俗はこの峠と岩神峠を合わせて女夫坂という。熊野街道で第一の険路である。

天蓋森
村の南にある。峠まで坂道6町。

大峰山
村の南にある。また「かせんとう」ともいう。峠まで坂道15町。

三越峠
村の東。坂道は峠まで8町。三里郷との境にある。俊頼の歌に見える。岩神峠の下に出す。

城屋敷
村の東10町余りにある。また要害ともいい伝える。詳らかでない。

栃野河
源は岩神峠より流れ出て村の中で大瀬谷川と落ち合う。

熊瀬河
源は源太谷より流れ出て10余町流れて村の中で栃野河谷に落ち合う。

大瀬谷河
源は花折より流れ出て村の中で栃野河と落ち合う。四村荘檜葉村小々森などを経て熊野川に入る。

旧家     地士 渡瀬安兵衛
天正年間に湯川直春が毒殺された後、嫡子丹波守光春は大和大納言に仕え、3000石を領する。秀長没落の後、浅野家に仕え、芸州に移る。与兵衛は光春の支族であろう。系譜は詳らかでない。畠山植長より湯川宮内少輔宛ての書状、林治郎左衛門尉宛ての書状2通を所蔵する。

和歌山県田辺市中辺路町道湯川

読み方:わかやまけん たなべし なかへちちょう どうゆかわ

郵便番号:

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