粉白村:現・和歌山県東牟婁郡那智勝浦町粉白
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粉白村:紀伊続風土記(現代語訳)
粉白村 このしろ
浦神村の艮(※東北※)23町、街道の海浜にある。砂浜で白砂は雪のようで粉白の名はこれより出たのであろう。
○小祠1社
○小堂1宇
○粉白殿墓
村中の田地の傍らに五輪の石塔がある。文字は見えにくい。粉白殿は当所の領主と見える。時代系図は詳らかでない。その屋敷跡はいま田畑となる。
村の中の平治という者の家に粉白殿の位牌が所蔵される。牌面に前粉代歴代領主神霊前粉白歴代夫人淑霊と2行に書いてある。年月を記せず。考えるに太平記大全に「小代兵庫は紀州の者である。覚を好んで武に誉れあった正行の文の師である」ということが見える。粉白殿はこの小代のことでは。
○玉ノ浦
村の中央より12町半午未の方にある。ここの磯は大巌で蒼代色粗質である。その石の中から玉石が出るので玉の浦の名がある。玉石は円形黒質で光沢がある。大きなものは鵞鳥の卵のようで、小さな物は鶏の卵のようで、またやや小さなものもある。
石の中に玉石を□むので往々形を外に顕わすものがある。あるものは半寸、あるものは1寸、あるものは半分、ある物は体皆出るものがあって、時が来て外に□出する。
その自ずから□出するものはその質は円滑で、これを完璧とする。石を割って出すものは全円を得難い。玉が自ずから□出するのは、多くは風雨のときにある。ゆえに土地の人はこれを候て争い拾うという。
○離小島
玉浦の辺の海中に岩が出て大小色々あるのをすべて離小島(はなれこじま)という。玉浦は離小島の古歌が多い(玉の浦は備後国にも同名がある。万葉集十五巻に属物発思歌とあるのはそこであろう。後世の題詠はいずれとも定めがたいが、大方をここに挙げる)。(※わからない歌もありました。ご教授いただけたら嬉しいです※)
万葉集 羇旅作
荒磯(ありそ)ゆもまして思へや 玉の浦の離れ小島の夢にし見ゆ
万葉集 紀伊国作歌
わが恋ふる妹(いも)は会はさず 玉の浦に衣片敷き ひとりかも寝む
夫木抄 千鳥 権僧正公朝
汐風やとほよる千鳥 玉の浦のはなれ小島に友さそふなり
夫木抄 月前千鳥 平忠度朝臣
小夜ふけて月かげ寒み 玉の浦のはなれ小島に千鳥なくなり
夫木抄 宝治二年百首 衣笠内大臣
玉の浦はなれ小島の潮の間に 夕あさりする田鶴ぞ啼くなる
夫木抄 島鶴 信実朝臣
人めみぬはなれ小島のさびしさに鶴のねふりもたよりあるらし
千五百番歌合 秋 公継卿
波のうつ玉の浦 のあら磯に光 く く夜半の月影
千首 羇中島 耕雲
故郷をはなれ小島による波よ立ちかへるべきしるべともなれ
松下集 島松 釈正広
つらき世を離れ小島の つ松 われ宿からむ影 てぞ
柏玉集 蒼海雲低 後柏原院
ながめやる海のはてなる山ぞなき うかべる雲のはなれ小島に
草根集 孤島霞 正轍
霞にもはなれ小島にあらはれて またうつもるる沖つ遠山
草根集 夕陽映島 正轍
浦なみは松よりみるる沖中のはなれ小島にの る日の影
和歌山県東牟婁郡那智勝浦町粉白
読み方:わかやまけん ひがしむろぐん なちかつうらちょう このしろ
郵便番号:〒649-5144
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