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野竹村:紀伊続風土記(現代語訳)


野竹村 のだけ 小名 檜和瀬(ひわせ)

静川村の西32町ばかりにある。村の西の四番荘の和田村へ3里ばかり、下川の谷椿尾という所を越えて行く道がある。48瀬を渡って極めて艱険の道という。村名は箟竹(※のたけ:箟は矢竹、矢柄のこと※)の多い地を開墾したことから起こったのだろう。今も村の西の三日森に野竹が多い。小名檜和瀬は村の北14、5町にある。家はわずかに7、8軒である。

小祠1社

小堂1宇

異事
元文年間、村の中に弥七郎という70歳ばかりの男がいた。病気でふと悶絶する。家内が驚いて声々に喚き続けたところ、しばらくして蘇り、続いて病気も平癒した。しかしながらこれより言語態度が急に変わり、妻子のことをも知らない。親戚が集まってこれを考えるに、熊野の人ではない。木地引の言語となっている。木地引は近江国の言葉が多く、熊野の地の言葉とは異なる。

その頃、当村の奥山に住んでいた弥七郎という木地引が死んだことがあった。その魂がいまだ消失していないときに同じ名を声々に呼ばれたので、ここに寄って来てその体の中に入れ替わったのだろう。奇というべし。蘇生の後、十余年を経て死んだという。
  熊野の説話:魂の入れ代わり

屋敷跡
鵜壷(うのつぼ)という所に定平という人の屋敷跡がある。『寛文雑記』に出ている。定平がどんな人だったのか知ることはできない。

和歌山県田辺市本宮町野竹

読み方:わかやまけん たなべし ほんぐうちょう のだけ

郵便番号:〒647-1724

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