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鯨漁(太地村):紀伊続風土記(現代語訳)


太地村

鯨漁
慶長11年和田忠兵衛頼元という者が泉州堺の浪人伊右衛門と尾州知多郡師埼の伝次という者2人をかたらって鯨突きを始めた。舟1艘に櫓7挺である。寛文4年に初めて塗舟を作り櫓8挺とした。

延宝5年鯨網を始める。その漁撈の様子は甚だ大造である。舟は3等ある。突船があり、網船があり、網船にまた引船がある。
突船はとは銛をもって鯨を突く船である、その数9艘。みな塗舟でその形は細く尖り1艘ごとに櫓8挺、15人乗りで、軽くして速さを尊ぶ。舟ごとに総管が1人いる。これを羽指(はさし)という。長柄の銛を取って船頭に立つ。銛は、鈍鉄を用いこれを投じて身に立つと曲がって横に垂れるのを主とする。
網船8艘各12、3人乗り。船ごとに網18段を積み鯨を追い回して遠巻きに網を置いて眼おどしをなす。その網の太さは井戸綱のようである。引船5艘。みな11人乗りである。
船はいずれもみな龍虎華形を彩色し五色が鮮やかに輝く。ことごとく旗を立て軍艦のようだ。

大洋を1日のうちにおびただしい数の鯨が過ぎていっても、鯨を捕るのに由はない。ただ海崖3、4里の中に寄って来たものを窺ってこれを捕る。その近くに来るのも出没遠近が船中では知りがたい。ゆえに海崖の山頭に望遠台を置き、また7、8箇所に狼煙を設け、老漁の者が常に遠眼鏡をもって海面を望み視て指揮をする。近ければ貝を吹き、貝の及ばない所は3品の采配をもって指揮する。采配の及ばない所は3品の旗をもって指揮する。最も遠く旗の指揮が及びがたくなったら狼煙を上げてこれを指揮する。
  熊野の観光名所:燈明崎
  熊野の観光名所:梶取崎

海面に布列した船はその指揮に従って左右縦横遠近集散、響の声に応じ影が本体の形に従うがごとく千変万化、鯨魚を追って、その速さは疾風か飛矢のようである。短い時間の間に鯨はハリネズミの毛のように満身に銛を受け、徐々に疲れて弱るのを伺い、1人が鋭利な刀を提げて鯨魚の背に跨がり、共に洋溟の中に出没して、その背に穴を穿って大綱を通して左右の船に繋ぎ数艘連ねて海崖に向かってこれを漕ぐ(背を穿って大綱を通す。これを手形を取るという。もし早いときは勢いがなお盛んで近づく者が韲粉となる。遅いときは鯨魚がすでに死に、海底に沈んでまた出すことができない。死生の境を伺って手形を取るのを老漁の所作とする)。

漁船はみな列を立てて歌を謡って陸に向かう。一番に銛を入れるのを一ノ銛とし最も手柄とする。二ノ銛、三ノ銛がこれに次ぐ。みな標の旗を船頭に立てその功を表わす。□旗が浜風に靡き、歌声が潮音に和し、その粧いは軍艦が敵船を奪い主将を虜にし凱歌して帰陣する勢いがある。じつに海国第一の壮観である。

また鯨を屠ることは目を驚かすものがある。すでに浜辺に漕ぎ寄せ、深さ1、2丈の所まで来ると鯨魚は海底に着いて動かすことができない。よって青龍刀の形に似ている鋭利な刀を持つ者が4、5人、鯨魚の背に乗り、まず大きな穴を穿つと油が沸泉のように涌き出るのを桶で汲み出す。次に縦横にこれを斬って大きな切り身数十塊にする。1塊の大きさ方5、6尺。大網でこれを繋ぎ巻轆轤をもってこれを曳く。数十人が助けて 、ある者は引き、ある者は押し、徐々に陸にあげる。陸地でまた長刀を持つ者が数人いて、切り身の塊を料理し、大きなはかりがあってその軽重を量る。

その胴骨の大きさは周囲1抱から2抱3抱に至るものまであって大きな材を海浜に横たえるのに似ている。大鋸で2人が相対してこれを斬る。その長さ3尺ばかり。白い材を積むかのようである。海と陸に血を注ぎ、その場にあずかる者は満身みな血に染まり、海上10余町の間、血海となり、紅波は物を染めることができる。その残殺の状は地獄の図を観るようである。

村中の男女数百人が垣根のように群れをなし守っている間を伺い、落ちるのを拾い散るのを争う。このため、点検の吏がいて不法を糾弾し、長杖を持つ者がいて四方を警護し、乱雑を制止する。1頭捕れば数十里を満たすというが、人数を用いるのに500〜600人を一群とするので、その費用はおびただしい。そして1年に捕る数はだいたい70〜80頭で、少ない年はこの半分。

漁事は9月末に始まって冬季に終わる。これを上り鯨という。東から西に行くものを捕ることをいう。また春2月頃より3月の末までに捕るのを下り鯨という。西から東に帰るものを捕るのだ。冬は西の海に趣いて子を産み、春は子を連れて帰ると相伝えていう。

いま明の顧□が著した『海鱗余録』を見ると、だいたい□耳の辺の海湾に至って子を産むと見える。『余録』の文を以下に載せる。(※略※)

鯨品類は極めて多い。詳らかに産物の部に載せる。

  熊野の本:関口雄祐『イルカを食べちゃダメですか?』
  熊野の説話:太地の鯨捕り、天狗源内
  全国熊野神社参詣記番外編:熊野人の墓

和歌山県東牟婁郡太地町太地

読み方:わかやまけん ひがしむろぐん たいじちょう たいじ

郵便番号:〒649-5171/649-5371

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牟婁郡:紀伊続風土記