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田辺城下:紀伊続風土記(現代語訳)


田辺城下(1) 家769軒 人2642人

田辺城下2

田辺城水門

この地は秋津川の海口にあって古の牟婁ノ津である(斉明紀分注にこの名が見える)。後世、土砂が海を埋め、地形は大いに変遷した。中古以後、海に面して村落をなすものの川の東にあるのを湊村といい、川の西にあるのを江川浦という。

湯川氏が江川浦の北西谷の八王子山(または上野山という)に砦を築き、天文22年8月に守護畠山氏が山本掃部広信をもって湯川氏を撃ち、これを降す。広信が城代として八王子の砦を守り保つ。天正年中に湯川氏が亡ぶ。大和大納言の家臣杉若越後守が芳養の泊城に居城する。同18年城を八王子山砦に移してここに居城する(このときの普請の入用に日高郡小松原村九品寺を壤取り、広間となす。清水の西にある弁慶松を伐り取り、台所の虹梁とする。5抱えあったという)。

慶長5年、関ヶ原の役に新宮堀内安房守などが石田氏に組す。杉若越後守は関東の命を蒙り堀内を討つ。房州逐電する。越後守が新宮在陣の内、浅野氏封を本国に受け、 浅野左衛門佐が八王子城代であった。越後守は舟で田辺の夙浦に一宿し逐電した。8年に左衛門佐が新たに江川浦の洲崎に城を築き、同9年洲崎城に移る。同10年8月12日、大風巨濤で城が破壊。

ついに新たに城を湊村に築き、同11年湊城に移る。当城はこれである。城の坤(※西南※)は海に面し、城の北に市□を開き、城の東を諸士の邸宅とする。 元和5年、国老安藤氏が家邑をこの地に受けて旧規によって広めてこれを大きくし、邸宅商屋、領の地に蔓延し、戸口はますます増え、区域がますます広くなり、ついに南辺の1都会となった。この地は、国城若山からおおよそ20里。山川が阻絶して形成が相及ばない。鎮を置かなければ辺境を制することができない。ゆえに安藤氏に都邑をこの地に受けさせ、南方を鎮めさせる。遠近相繁き維持の制を得たということができる。

田辺城水門
  熊野の観光名所:田辺城水門 田辺城唯一の遺構

田辺町
 田辺の町は8つに分かれる。本町・紺屋町・袋町・上長町・下長町・南新町・北新町である。外に横町・小路数町がある。東西7町班ばかり、南北3町ばかり。江川浦は東西3町余り、南北1町ばかり。

本町 紺屋町 下片町 大手筋
 西の方秋津川大橋より東に達する往還を本町とする。熊野街道である。東の方に至って南北に通ずる町を城の大手筋とする。本町の北に並ぶのを紺屋町とする。南に並ぶのを下片町とする。

下長町 上長町 袋町 上片町 代官町
 西の方大手筋より東に達する往還を長町とする。長町の南に並ぶのを袋町とする。袋町の南に並ぶのを上片町とする。袋町の東で南北の横町を代官町という。

北新町 孫九郎町 勝徳寺町
 長町の東に続く往還を北新町という。すなわち熊野街道である。東の末湊領に至るのを大辺路街道とし中間より折れて北に行くのを三栖口という。中辺路街道である。新町の南に並ぶのを孫九郎町という。孫九郎町より北に達するのを勝徳寺町という。

南新町 海蔵寺町 権現道
 北新町の中間南に達する町を南新町という。南新町より東に達するのを海蔵寺町とする。海蔵寺町の南に並ぶのを権現道とする。

続く

和歌山県田辺市

読み方:わかやまけん たなべし

郵便番号:〒

 646-0041 和歌山県田辺市北新町(きたしんまち)
 646-0042 和歌山県田辺市南新町(みなみしんまち)
 646-0044 和歌山県田辺市福路町(ふくろまち)
 646-0045 和歌山県田辺市片町(かたまち)
 646-0046 和歌山県田辺市本町(ほんまち)
 646-0047 和歌山県田辺市紺屋町(こんやまち)
 646-0054 和歌山県田辺市江川(えかわ)

 

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