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那智山 旧跡:紀伊続風土記(現代語訳)


那智山 旧跡

花山法皇御参籠所基趾
那智本社の西北の25町にある。古い茶碗・茶壺等がある。花山法皇所持とのことを言い伝える。
  花山法皇の熊野御幸:熊野の説話

花山法皇の歌に、

栄花物語
 木の下をすみかとすればおのづから 花見る人となりぬべきかな

今も桜の古木が1本ある。法皇御参籠のときの木という。茶器を入れた石櫃は南龍公の御寄付である。御参籠所の寺号を今は円成寺という。
  花山法皇:熊野の歌

     那智にて庵の柱に書付ける
続千載集             前大僧正行尊
 おもひきや草の庵の露けさを 終ゐの栖とたのむべしとは
  行尊:熊野の歌

     那智の山に花山院御庵室の有りける上に桜の木の侍るをみて
     すみかとすればと詠ませ給ひけんこと思ひ出でられてよみける
風雅集              西行法師
 木のもとに住みける跡を見つるかな 那智の高根の花を尋ねて
  西行法師:熊野の歌

夫木抄              後鳥羽院御製
 又□くひ那智のお山に澄む月の 清きひかりに松風ぞふく
  後鳥羽院:熊野の歌

     喜多院入道二品親王家五十首眺望
同                皇太后宮大夫俊成
 遥なる那智の浜路を過ぎてこそ 浦と海とのはては見えけれ

 

拾遺愚草  十題百首神祇     定家朝臣
 雲かゝる那智の山陰いかならん みぞれはげしきながきよのやみ
  藤原定家:熊野の歌

     屏風に那智の山かきたる所
金槐集              鎌倉右大臣
 冬こもりなちの嵐の寒ければ 苫の衣のうすくやあるらん
  源実朝:熊野の歌

尊勝院岩屋
那智本社の北1町ばかりにある。天神地祇降臨の所。天の岩の表示という。滝本苦行の僧が年に3度の祭を勤める。また社がある。少彦名(すくなひこな)の神を祀っているとのこと。また往古この窟へ宝珠を納めたという。

卒塔婆
那智本社の北5町余、一の滝の前にある。長さ6尺ばかり。弘安年中に亀山法皇が御幸のときにお建てになられたのだ。刻文に「太上天皇恒仁 初度 弘安四年二月晦日」とある。

玉石
那智本社の東北1町にある。蓮寂上人の旧跡である。今は滝の庵主の寺がある。

帽子石
那智本社の東50町ばかり、山の上にある。役行者がここに帽子を残しておいたところ石となった。ゆえに名づけた、と土地の人はいう。その地に護摩壇・瓶子石・亀石などいうのがある。

晴明社
那智本社の東3町ばかりにある。今は社はない。傍に橋がある。晴明ガ橋という。

晴明橋の石材
  晴明橋の石材
  熊野古道「中辺路:大門坂駐車場→熊野那智大社」

天照太神影向石
那智本社の東18町ばかり、市野々村の中にある。

光(ひかるが)峯
那智本社の東30町ばかりにある。頂に池がある。今は水はない。昔、加利帝母神が光を放った。ゆえに光峯と名づけたという(一説にこの地に5部の大乗経を納めたところ光を放ったので名づけたという)。

亀井水
実方院の境内にある。ここに屋敷跡があり、名草郡大野荘藤白の亀井某が若年のとき居住した。よって亀井の名があると言い伝える。

最勝峯
本社の西北23町ばかりにある。先徳最勝王経を納めた所という。那智三峯のひとつである。

和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山

読み方:わかやまけん ひがしむろぐん なちかつうらちょう なちさん

郵便番号:〒649-5301

那智勝浦町の観光スポット宿泊施設

牟婁郡:紀伊続風土記