紀伊すぽっとみ熊野ねっと

那智山 古時神領:紀伊続風土記(現代語訳)


那智山 古時神領

那智の滝

往古、本宮・新宮・那智の3神社の神領は、今の奥熊野の地で古の郷名が神戸の地がすなわちこれである。その封域3分の区界は今は詳らかでない。

中世以後さらに3神社及び各社に、朝廷からお寄せになった地、諸家からの寄付の地が他郡や諸国に甚だ夥しく、あるいは古書に散見し、あるいは土地の人の口碑に残っている。

『百練抄』に「寛治4年、白河上皇が熊野にお出かけになり、近郡の田園100余町を奉じた」とあるのは三山に御寄付があったのであろう。また『長寛勘文』に熊野本宮料甲斐国八代荘のことがある。これらは熊野神領が古書に見える初めである。

その那智山の神領寄付状のある分を下に羅列する。

当国在田郡比呂荘  免田13町5段
同宮崎荘  免田13町5段
 上の2ヶ所は応徳3年に内侍尚侍藤原氏が寄付。

同日高郡薗宝郷  健暦2年に仙洞院が寄付。
 社檀承仕等給  12斛

美作国稲岡南荘  御師高坊祈願所
 上は仁平元年に源義国朝臣が寄付。

尾張国牛野荘  滝本油領
 上は承久3年に後鳥羽院が御寄付。
  後鳥羽上皇:熊野の説話

伊勢国草生荘  米3石 三山神領饌備料
 上は建武4年に荘地頭沙弥道盛が寄付。

伊豆国江馬荘  尊勝院領
 上は寄付年が欠ける。康永4年に准后より「如元可令管領」の状がある。

伊勢国一志郡八対野荘
 上は寄付年が欠ける。応安5年に荘中の布引山内の荒野のことについて執行の命により権少僧都泰禅から松村律師宛ての文がある。また康暦元年に性周禅尼から荘中の田地の米5石を滝本仏供並びに読経料田に寄付の状がある。

駿河国長田荘
 上は寄付年が欠ける。嘉吉元年の義教公の御教書に「段銭の臨時課役を免除する」とある。

遠江国1町6段地  3貫文 十方院祈祷料
 上は永正14年に井伊千代寿が寄付。

駿河国安東  万疋
 上は寄付年が欠ける。弘治2年に今川義元が先規に任せて奉納の状がある。

遠江国入野郷  5貫文
 上は永禄10年に今川氏真(うじざね)が寄付。駿州北安東の替地である。

同国山野荘土橋郷  8貫文
 上は永禄12年に東照宮が御寄付。

周防国山野荘土橋郷  10貫文 橋爪坊領
 上は毛利隆元・元就が寄付。

熊野那智大社
  熊野那智大社:熊野の観光名所

和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山

読み方:わかやまけん ひがしむろぐん なちかつうらちょう なちさん

郵便番号:〒649-5301

那智勝浦町の観光スポット宿泊施設

牟婁郡:紀伊続風土記