那智荘:現・和歌山県東牟婁郡那智勝浦町
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那智荘:紀伊続風土記(現代語訳)
那智荘 なち 全12ヶ村
那智荘全12ヶ村、東は佐野荘及び浅里郷に接し、西は色川郷と隣り合い、南は大田荘と界し、北は那智山と接する。その広さを計ると南は勝浦村より北は市野々村まで南北の長さは2里ばかり、東西の広さは1里ばかり。南は太地崎より北は湯川までは5ヶ村合わせて南北の長さは2里半余り、東西の広さは1里ばかり。
那智の一渓は乾(※北西※)から巽(※東南※)に通じて東西の両山を屏風を並べたかのように渓流がその中央を流れ、浜宮村に至って海に入る。これがすなわち那智の滝の下流である。
天満・浜ノ宮・川関・井関・市野々の5ヶ村は、その流れに添って村居をなす。浜ノ宮・狗子川村の2村は海に浜して、南の方に海を隔てて太地崎と相対す。太地崎より湯ノ川村まで海岸が湾曲し、二河・橋ノ川・湯ノ川の3ヶ村は、山渓にあって、海水がその中に入ってくることは渠を穿って流れを引き入れ池を開いて水を蓄えているかのようである。奇形殆形状すべからず(※?※)。太地浦は鯨を捕ることを専業とするので、諸事他の浦と異なる。森浦・勝浦2村は漁を専らとし、那智山往還にある者は旅舎を兼ねているので尋常の山村と異なる。
当荘は中世は那智山の社領であったのだろう。そのことは今詳らかでないが、那智の社家が多くこの地におり、あるいは城を築いた跡があり、あるいはその屋敷跡がある。足利氏の末に社家はみなその土地を失って那智山の内に移ったのであろう。
○那智川
源は那智山より流れ出て那智の諸瀧が合流して那智川となる。一の瀧(※那智の滝※)より海口まで2里20町、市野々・井関・川関の3村を経て天満村領の巽(※東南※)にて銅山の谷川に落ち合う。そのため川の水に銅気があって田園に水を引くには害がある。川口に至るまで魚が生じない。たまたま上流から来る魚もことごとく死ぬという。
那智荘12ヶ村
- 森浦村(現・和歌山県東牟婁郡太地町森浦)
- 太地村(現・和歌山県東牟婁郡太地町太地)
- 二河村(現・和歌山県東牟婁郡那智勝浦町二河)
- 橋ノ川村(現・和歌山県東牟婁郡那智勝浦町橋ノ川)
- 湯ノ川村(現・和歌山県東牟婁郡那智勝浦町湯川)
- 天満村(現・和歌山県東牟婁郡那智勝浦町天満)
- 勝浦村(現・和歌山県東牟婁郡那智勝浦町勝浦)
- 浜ノ宮村(現・和歌山県東牟婁郡那智勝浦町浜ノ宮)
- 狗子川村(現・和歌山県東牟婁郡那智勝浦町狗子ノ川)
- 川関村(現・和歌山県東牟婁郡那智勝浦町川関)
- 井関村(現・和歌山県東牟婁郡那智勝浦町井関)
- 市野々村(現・和歌山県東牟婁郡那智勝浦町市野々)
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