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湯峯村:紀伊続風土記(現代語訳)


湯峯村 ゆのみね

下湯川村の北8町にある。山溪の間であるが、下流より望めば土地が高くて温泉がある地なので湯の峯という。この地は3面山峯があって小溪が南に向かって開く。溪の中に広さわずかに1町ばかり、土地が狭く迫っているので人家はその中に相重なっている。みな旅舎で浴客を宿すので家居はよい。朝夕は湯気が立ち上って白雲を湧かすようだ。雨中に殊に甚だしく湯の気が谷中に満ちて密霧のようである。湯気は日中にようやく消えて、四望が明るくなるのを感じられる。

湯の峰温泉
  熊野の観光名所:湯の峰温泉
  熊野の宿:湯の峰温泉の宿泊施設

王子権現社  境内禁殺生
境内に薬師堂がある。本尊薬師如来は湯の花で自然に成った座像で、形状は石仏のよう。岩の上にある。堂をその上に作って覆う。下は一面の大岩という。昔は薬師の体の中から湯が沸き出したといって、胸上に小穴がある。持仏堂に二重の多宝塔がある。多宝塔は後鳥羽帝の御建立という。また多宝塔の南に石の宝篋印塔がある。

湯峯王子
  熊野古道:湯峯王子

 別当  東光寺 薬王山 真言宗古義無本寺本宮社家支配
村の中にある。王子権現社領5石社堂ともに。官の修造という。社役は本宮西座の内より勤める。すべて湯の事は別当の支配である。浴室銭湯の制もある。みな別当へ納める。

東光寺
東光寺は、現在は天台宗の寺院。

一遍上人名号石  多宝塔の北にある。
  六字名号一遍法  十方依正一遍体
  万行離念一遍證  人中上上妙好花
右の四句の文を石面に刻んである。一遍上人が熊野権現の霊夢を蒙り、六十万人の字を句の頭に冠せられ決定往生の意を示すという。
  熊野の観光名所:磨崖名号碑 伝一遍上人名号碑
  熊野の説話:一遍上人、熊野成道
  一遍上人のツイッター

温泉
湯峯温泉はまた本宮の湯のいう。浴室は1宇3槽あって、留湯・男湯・女湯という3つに分かれる。槽は各々2間四方ほど。他に乞食湯が1所ある。湯は8方1町の内、数ヶ所に沸き出る。その最も熱い泉が涌く所が3ヶ所ある。その内浴室に取る所は2ヶ所である。

1つは東光寺の後ろより出る。極めて熱く触ることはできない。その傍らに冷泉が涌き出る所がある。熱泉冷泉各々を長筧(とゆ)で取って下に送り、2つの筧を合わせて1つにして温熱の加減をほどよくして浴室の槽中に注ぐことは。懸泉のようだ。これを留湯という。

もう1つは谷底から沸騰する熱泉である。注管をその中に立つ。沸く勢いが盛んなので直ちに管中に入って2丈ばかり上る。上に長筧があってこれを受ける。また傍らに1つの冷泉を引く長筧がある。2つの長筧を合わせて1つとして冷熱をほどよくして前のように浴室中に注ぐ。また分かれて2つとなる。1つは男湯とし1つは女湯とする。

その他、谷底に極熱の涌く所が1所ある。井欄を作ってその上に置き、村の中の物を湯引く所としている。諸々の野菜は、ここで湯引いた物が最も香りと味がよいのだ。乞食の輩はその側で飯を炊き、芋を湯引くが、みな熟す。その熱所は総じて雨の季節に沸騰の勢いが最も猛る。『本草釈名』にその熱所に当たって猪や羊を煮て鶏の卵を熟すことができるといった類である(素麺を煮れば粘り、銅器を用いて酒を温めれば味が変わるという)。

この地では銀銅鉄の類はことごとく錆を発す。そのため村の中で用いる鏡はみな硝子鏡であるという。紅紫布帛の類はみな色を変ず。衣厨の類は床架を作ってその敗壊を防ぐ。久しく留まる客は佩刀の類は用心しなければすぐに鏽蝕を生ず。温泉の気が村の中に充満していることを知らなければならない。

温泉の色は清潔で味は徒水(さみず)のようである。熱泉の沸く所、注ぐ所に自然に白液が凝結畳積して石のようだ。これを湯の花と称す。ある物は白質、ある物は微黄にして赤を帯びる。何の香りも味もなく火に投じて焼けない。

この湯の効能を論ずると、肩背腰脚の痛み、骨節攣急脚気風毒結毒諸悪瘡撲損挫閃沈 などの諸病に奇効があるという。その他、諸痔諸淋の類その方を得ればまた効を見るという。
  熊野の観光名所:湯の峰温泉
  熊野の宿:湯の峰温泉の宿泊施設

正徹の草根集に出湯を詠んだ歌
 熊野路や雪のうちにも沸きかへる湯の峰かすむ冬の山風
  熊野の歌:正徹

車塚
当村から本宮への往還にある。俗説に小栗判官がこの湯に浴し、あしなえを平癒し車をここに捨てて帰ったという。
  熊野の観光名所:小栗判官車塚

また熊野往還の古道で、今の街道と少し宛て替わっている所を小栗街道といい習わしている。院本に小栗判官兼氏という者が毒酒に当てられ熊野湯峯の温泉に浴して平癒したことを作って車街道ということがあるので、ついに車塚・小栗街道などの名が起こったのだろう。

考えるに、『鎌倉大草紙』に小栗満重という者のことを載せている。その大意は、
応永30年春、常陸の国の住人、小栗孫五郎平満重という者が謀反を起こしたが、管領持氏の反向があって城を攻め落とされたので、小栗はついに参州落ち行き、その子小次郎は相州に忍んで行ったが、亭長は強盗とともに小栗主従を殺し資財を奪うことを謀り、娼婦を集めて毒酒を勧めたが、照姫といった娼婦はその密謀を小次郎に告げたので小次郎は酒に酔ったふりで座を立って林中に繋いであった荒馬に乗ってそこを逃れ藤沢の道場に奔る。上人がこれを参州に護送させた。後、永享の頃、小栗が参州より来て照姫に種々の財を与え、強盗どもを誅し、子孫代々参州に居住すると。

院本はこれを取って粧飾するのに温泉に浴することをもってした。その事実はもとより本国には関係がない。
  熊野の説話:小栗判官
  熊野の観光名所:小栗判官史跡

和歌山県田辺市本宮町湯峰

読み方:わかやまけん たなべし ほんぐうちょう ゆのみね

郵便番号:〒647-1732

田辺市本宮町の観光スポット宿泊施設

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牟婁郡:紀伊続風土記