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尋快が次男が嫡子に立てる。兄の長禅師は承久合戦で院方のため打たれた。
正応3年宮主高実の文書に「権別当坊以被仰下之趣雖被相触長憲法橋一切不令承引」とある。権別当は名は欠いているが年紀から推察するとこの静快であろう。兄の長禅師は『東鑑』に見える熊野法師の子であろう(第28の条を考えるべし)。