佐野荘:現・和歌山県新宮市/東牟婁郡那智勝浦町
※本ページは広告による収益を得ています。
佐野荘:紀伊続風土記(現代語訳)
佐野荘 さの 全5ヶ村
佐野荘全5ヶ村は、東南は海に浜し、西北は那智荘及び浅里郷に接し、正北は新宮に連なっている。その広さは東西2里ばかり、南北2里余り。神武紀に「遂に佐野を越えて熊野の神の邑に到る」とある佐野は、すなわちこの佐野で、地形に拠って考えると字は狭野と書くのを正字とするべきだ。佐野は古に名高く歌人の詠が多い。
嘉永の後、この荘は鳥居禅尼の領となる。禅尼が没した後は子息の長詮法橋にこの荘を相伝したことが『吾妻鏡』に見える。
石垣氏が代々この地の下司職であったという。後世には新宮堀内氏の領となる。宇久井村・佐野村・三輪崎村の3村は往還にあって海浜に臨むので、村民はみな農漁を兼ね、衣食の業は乏しくなく、村の品位もみなよい。
佐野荘5ヶ村
- 宇久井村(現・和歌山県東牟婁郡那智勝浦町宇久井)
- 高津気村(現・和歌山県東牟婁郡那智勝浦町高津気)
- 佐野村(現・和歌山県新宮市佐野)
- 木川村(現・和歌山県新宮市木ノ川)
- 三輪崎村(現・和歌山県新宮市三輪崎)
amazonのおすすめ
楽天のおすすめ