日足村:現・和歌山県新宮市熊野川町日足
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日足村:紀伊続風土記(現代語訳)
日足村 ひたり 小名 志古 相須神丸
能城村の北11町にある。この村は東に熊野川があり、南に小口川があり、2つの川が合流する にあるので、水害があることは能城村・山本村と同じ。
日足は日下とも書き(本宮社家文書の内で日下と書いてある)、または日垂とも書く(西氏が所蔵する畠山義就の書翰に日垂と書いてある)。いずれも借用したもので正字ではない。いつも水に浸される地なので「漬」の意味であろう。
小名に志古・相須神丸がある。下に出ている。
○八幡宮 境内周180間
村中にある。1村の産土神である。寛正6年造立の棟札に本願主中上三郎左衛門源光長と書いてある。
○少林寺 長谷山 禅宗曹洞派新宮城下全龍寺末
村の端にある。この寺の山内に長さ6尺ばかりの古い石塔がある(石面に長谷院梅山慧林居士文明十一年亥十月二十五日と刻んである。村中の西茂左衛門の先祖の石塔という)。
志古 しこ
本村の亥の方(※北北西※)16町にある。古、那智から本宮に往来するのにここを経るのを本道とした。西行が歌に志古の山路と詠んだのはこれである。志古より西の方、山中に入って谷川に沿って登るのを番西道という。それから番西峠をというのを越えて四村荘の大津荷村の方に行って同荘の請川村に至る。これが古道である。
番西道の内に遊行上人の名号の石碑が2ヶ所にある。今も上人回国のときはこの道を通るのを慣例とする。古の御幸などの道筋もこれである。今の小雲取の道は後世開いた道である。
山家集 題しらず 西行
雲取や志古の山路はさておきて 小口河原のさびしからぬか
相須神丸 あいすかんまる 日足村小名
本村の坤(※西南※)5町ばかりにある。
○貝持島
志古の前、大川の岸根にある岩をいう。この地は花井荘の楊枝村に対する。昔、楊枝村の大柳を伐ったとき、この岩の上で貝を吹き、人夫の進退を指示したことから名付けたという。
○能坐淵
小口川の淵である。この淵を指して宮本といって相須の産土神とし、川端の岩を神体と崇むという。
○谷口山
本村の坤(※西南※)25町にある。この山の峯通は小雲取街道で石堂という所に茶店がある。石堂まで本村から1町27町。石堂の前後、巽(※東南※)小口川郷との界「四辻」という所から乾(※北西※)は四村荘との界「高麗桜」という所まで24町ばかり。峯通の道は今の小雲取往還の道筋である。
○旧家 西茂左衛門
新羅三郎の末裔、湯川氏・愛洲氏等の同族である。古い家系図がある。畠山義就よりの軍勢催促状11通、他に古い書簡、古い武器を所持する。
和歌山県新宮市熊野川町日足
読み方:わかやまけん しんぐうし くまのがわちょう ひたり
郵便番号:〒647-1211
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