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北檜杖村:紀伊続風土記(現代語訳)


北檜杖村 きたひづえ  小名 乙基(おとも)

南檜杖村の北、川を隔てて8町ばかりにある。小名に乙基というのがある。村の巽(※東北※)13町ばかりである。家が8軒ある。

乙基(おとも)ノ渡
小名乙基にある。新宮からの街道である。町中に荘司という旧家がある。その家より渡舟を支配する。下人を2人置いて渡守とする。乙基の意味はいまだ考えられない。

苞苴(おんべの)淵
熊野川のうち、蝦鼻岩の前にある。この淵で取った鮎を75尾、毎年9〜10月のうちに荘司の家より取って新宮権現へ献上するのを古例とする。おんべは大贄の約したもので、苞苴の字を用いる。

城跡
村の東3町ばかりにある。9間に11間の土地である。

荘司家      塩崎角大夫
この家のことは火災に遇って由緒などは詳らかでない。新宮神倉に奉仕する修験者が勤修3年の上この家で免許を取るのを神秘とする。

また権現二ノ宮の供御をこの家に贈るのを古からの例とする。この家からも毎年鮎を献貢する(このことはおんべの淵の条に書いた)。考えるに、当村は往古大峰登山のものの檜杖を出した所なので山伏修験のことを掌った家であろう。海部郡加太浦の迎之坊の類であろう。

三重県南牟婁郡紀宝町北檜杖

読み方:みえけん みなみむろぐん きほうちょう きたひづえ

郵便番号:〒519-5716

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牟婁郡:紀伊続風土記