東山村:現・和歌山県田辺市上芳養
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東山村:紀伊続風土記(現代語訳)
東山村 ひがしやま 小名 知古屋谷(ちふるやだに) 粉津根(こつね)
田畑高 122石2斗6升2合5勺
家数 90軒
人数 525人
西山村の東20町にある。東山・西山の両村は荘の北の端で、最も山の中であるが、その地は広く2ヶ村で荘の大半を占める。当村は東西45町余り、南北30町余り。芳養川の源で、民の家は谷に沿って散在する。小名が2つある。村の艮の方(※東北※)12町にあるのを古屋谷といい、村の子丑の方(※北微東※)27町にあるのを粉津根という。また谷が2つある。そのひとつを歯朶尾といい、もうひとつを峡垂という。古屋谷は峡垂にある。この谷で盆石を産する。絶品である(土地の人は東山の谷をすべて古屋谷と呼ぶ。古屋谷の名は今は小名とするが、東山の大名と見える)。
○宇佐八幡宮 境内周90間
村の中にある。慶長12年豊前より勧請したという。森に2抱えばかりの榊がある。
○小祠4社
八幡宮 社地岩山周12間。天正年中、林村の八幡宮炎上のとき、八幡宮から白鳩が2羽飛んで来てここに集まる。それより社を建てたといい伝える。
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熊野の観光名所:芳養八幡神社
氏神社 社地周34間。若宮という。
地主社 社地周10間。
地主社 社地周24間。社地に烏合(うごう)という3抱えばかりの大樹があった。近年朽ちたが、今もひこばえがある。
○地蔵堂 境内周40間。
○龍神山城跡
村の艮(※東北※)の山の上にある。東西23間、南北12間。湯川氏の城である。
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○旧家 地士 栗山彦之丞
家伝によると、その祖は豊前国宇佐の社人の一族で、当村の小名古屋谷に住み、宇佐八幡宮を古屋谷に勧請して奉祀する。その孫栗山三郎勝重が湯川直春に仕え、日高郡財部村及び古屋谷を治める。天文13年に直春が滅亡し、明くる年の7月29日、その党と共に泊の城を攻めて戦死する(法名は芳誉道栄という)。その妻は林村の脇田九郎兵衛俊勝に再嫁して勝俊を生む。勝俊は栗山の跡を続け、栗山治大夫という。万治2年に死す。勝俊・勝重の軍功を書き記して1巻とし、家で伝える。代々古屋谷に住み、領主より地士とする。
和歌山県田辺市上芳養
読み方:わかやまけん たなべし かみはや
郵便番号:〒646-0101
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