下村:現・和歌山県田辺市芳養町
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下村:紀伊続風土記(現代語訳)
下村 しも 小名 井原(いはら) 大屋(おほや)
田畑高 359石5斗9升8勺
家数 292軒
人数 1208人
日高郡南部荘境村の巽(※東南※)に25町にある(熊野街道の側袖摺石をもって郡の境とする)。村居は海に浜して熊野街道にある。荘の下で海口にあることをもって下村の名がある。当村は漁戸商家相雑ざり、造酒家もある。また鰹節を製造する小名も2つある。井原・大屋という。みな芳養川を隔てて村の西にある。村の東の浜沿いに松原という地がある。古くは芳養荘の地であったが、今は田辺荘に属する。
○若一王子社 境内周120間
摂社2社 愛宕社・庚申社 末社3社 若宮・后御前社・八王子社
拝殿
村の中にある。下芳養荘4ヶ村(下村・芋村・中村・境村)の産土神で『御幸記』に芳養王子とあるのはこれである。湯川家が領主のとき寄付の田5町余りあったとか。神主1人と社人4人がいる。古文書神宝の類は寛永4年津波で流失したという。
○小祠5社
稲荷社 社地周40間。村の北にある。氏神の社という。
衣美須社 社地周8間。村の中、浜の端にある。
衣美須社 龍神社 2社ともに小名井原の浜にある。社地周8間。
玉置山権現社 井原にある。社地周8間。
○善徳寺 海宝山 浄土宗西山派名草郡梶取村総持寺末
村の中にある。本堂(方5間)、釣鐘堂、僧坊などが備わる。天正中に湯川式部大輔が建立したという。
○長願寺 井原にある。山伏の支配である。
○廃極楽寺跡 村の東にある。元亀天正の頃退転したという。
○泊山ノ城跡
井原の西にある。南の方、海に臨んで熊野街道の側にある。東西30間、南北45間。湯川氏の城である。天正中湯川氏が亡んで大和大納言より杉若越後守を城主とする(このことは田辺城の条および日高郡小松原村の条に載せる)。荘中に砦の跡がはなはだ多い。みな湯川氏の築いた砦という。
○旧家 目良幸作
熊野別当湛増の後で田辺城下の田所弥三左衛門と同家である(このことは詳らかに田所氏の条に載せる)。数代、芳養組の大庄屋役を勤める。畠山家よりの文書数通並びに永禄5年家祖の戦功のことを書き記した1巻がある。
和歌山県田辺市芳養町
読み方:わかやまけん たなべし はやちょう
郵便番号:〒646-0056
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