岩田村:現・和歌山県西牟婁郡上富田町岩田
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岩田村:紀伊続風土記(現代語訳)
岩田村 いわた 小名 田熊(たくま) 田熊川(たくまがわ) 尾崎(おざき)
田畑高 950石6斗8升3合4勺
家数 219軒
人数 930人
朝来村の艮(※東北※)16町にあって、岩田川に添う。熊野往還の古道である。岩田は河岸巌険から起こった名で、古くはこの地の大名であった。今は1村の名となった。小名は3つある。川を隔てて巽(※東南※)の小谷にあるのを田熊といい、その東の溪に20町ばかり入った所にあるのを田熊川といい、北の枝谷10町ばかり入った所にあるのを尾崎という。
○稲葉根王子社 境内周48間
末社 稲荷社 拝殿
村の艮(※東北※)20余町、王子谷という所の川端にある。この地、熊野古道である。1村の産土神で、慶長11年の棟札がある。『御幸記』に「稲葉根王子(この王子は五体王子に準じる。毎事過差云々、御幸の儀は五体王子に同じ云々)とあるのがこれである。二十二社註式の条に「ある記に曰く、嵯峨天皇、弘仁12年夏、智證大師が熊野に参り、顕密の法をもって還向のとき、紀伊国石田川の下、稲葉の里を過ぎ、この間、1人の老翁が稲を多く刈り、これを担い、2人の女がまた稲を載せて行ったが、その行方は知れず、失訖。その夜、大師の夢に、1人の老翁は上宮、2人の女は中下社である云々」とある。稲葉の里は『御幸記』に「稲葉根」と書いてあるのと同じで当所であろう(里の名は廃して王子の名が残ったのだ)。いま当社の末社に稲荷社があるのはこの古事によって祭っているのであろう。
熊野九十九王子:稲葉根王子
熊野旅行記:藤原定家『後鳥羽院熊野御幸記』現代語訳3
○稲荷社 境内森山周2町
小名岩田谷にある。産土神である。拝殿がある。
○小祠5社
杉本明神社 社地森山周20間、大坊という所にあって産土神である。
大山権現社 社地森山周32間、立平という所にあって氏神とする。本社、拝殿、末社の稲荷社。
稲荷社 社地周34間、小名尾崎にある。
祇園社愛宕社 2社社地周38間、田熊にある。皆、近年の勧請である。
○三宝寺 珊瑚山 禅宗曹洞派田辺城下法輪寺末
立平という所にある。堂(6間、5間)、僧坊がある。
○小堂6宇
影庵 小名田熊にある。
観音堂 境内周8間、小名田熊にある。
観音堂 阿弥陀堂 2堂境内周42間、小名上殿という所にある。
阿弥陀堂 境内周14間 地蔵堂 2堂は立平という所にある。
○釣塀卸砦跡
小名田熊にある。山本氏の家老、山本兵部の城という。兵部は当村及び市瀬村、岡村を領したとか。
○頓宮跡
その地は詳らかでない。『御幸記』に「稲葉根王子、次に昼養の宿所に入る。馬はこの場所より停めて師に預け置き、これより歩いて、石田川を徒渉し、まず一ノ瀬王子に参り、次に云々」とあるのがこれである。考えるに、この地に馬を止めるのは古例と見えて、後鳥羽院の御製にも「石田川谷の雲間にむら消えてとどむる駒の声もほのかに」とある。
熊野旅行記:藤原定家『後鳥羽院熊野御幸記』現代語訳3
熊野の歌:石田川
熊野九十九王子:一ノ瀬王子
熊野の歌:後鳥羽院
和歌山県西牟婁郡上富田町岩田
読み方:わかやまけん にしむろぐん かみとんだちょう いわだ
郵便番号:〒649-2102
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