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朝来村:紀伊続風土記(現代語訳)


朝来村 あっそ 村居5ヶ所に分かれ各小名がある

 田畑高 1698石5斗6升3合2勺
 家数  297軒
 人数  1405人

岩崎村の艮(※東北※)18町にある。田辺荘新庄村からは戌の方(※北西微南※)1里5町の距離。熊野大辺路街道である。朝来は旦来と同じく古くはアサコと正しく唱えたのであろう。名草郡多田郷旦来村の条を合わせて見てください。当村は古くは上下2村に分かれていた。その後に上村より金屋が分かれ、下村より大内谷が分かれたという。上・下・金屋の3は村居が1所にある。これを本村とする。大内谷はそれより戌の方(※北西微南※)の小谷にある。(※略※)

産土神社  境内周84間
 祀神 八幡宮・諏訪明神 合殿  拝殿
金屋にあって金屋の産土神である。当社は山本氏がこの地を領したとき勧請したのであろう。例祭7月27日。氏子が群参して踊りがある。その唱歌に市ノ瀬殿の宝の御船湊へ廻るようめでた攻めも攻めたよ細川をとこ河内の陣のきたしきを等の語がある(市ノ瀬殿はすなわち山本氏である。宝の御船は、領内の民が領主の乗船を称する詞。湊は富田川の湊であろう。きたしきの語はいまだわからない)。永禄年間に畠山高政が三好の長慶と河内国高屋城及び教興寺などにて合戦があった。山本氏は畠山氏に属して細川三好の徒と戦う。その凱陣を称えてこの童謡があったのを今に伝えたのであろう。また神庫に古い鉾を収蔵する。

小祠5社
 梅田明神社  社地周124間。小名下の里田という所にあって下の氏神である。拝殿がある。
 弁財天社   社地周90間。大内谷の峠という所にある。拝殿がある。市守長者という者の勧請という。
 虫逐明神森  社地周30間。下にある。楠木を神体とする。夏時田虫を逐うために祀る神という。
 愛宕・祇園社 社地周12間。下の梅田社の傍らにある。
 山神森    社地周50間。大内谷の鳶ノ尾という所にある。 

円鏡寺  永智山  禅宗関山派京妙心寺末
 本堂  観音堂  僧坊  鐘楼門
金屋にある。末寺2ヶ寺がある。

桂昌庵  禅宗関山派村中円鏡寺末。上の片山という所にある。

役優婆塞堂  下にある。

地士   玉置宇左衛門

孝行人
小名金屋の善七という者が父母に仕えて孝を尽くす。寛政9年領主より米3俵を与えて褒賞する。

和歌山県西牟婁郡上富田町朝来

読み方:わかやまけん にしむろぐん かみとんだちょう あっそ

郵便番号:〒649-2105

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牟婁郡:紀伊続風土記