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市瀬村:紀伊続風土記(現代語訳)


市瀬村 いちのせ 小名 汗川(あせがわ)

 田畑高 1061石2斗7升8合6勺
 家数  197軒
 人数  887人

岩田村の東28町、岩田川の西、熊野古道にある。市ノ瀬あるいは一ノ瀬と書く。川辺に櫟木(いちいのき)があったことから櫟瀬(いちのせ)の名が起こったので、松瀬、梅瀬などと同例であろう。小名汗川は村の北、枝谷に15町ばかり入った所にある。栗栖川荘西谷村と界する。中古、山本氏が居城をここに築いて居住したので、その遺蹤が村の中や近村に多くある。

春日社  境内森山東西50間、南北70間
 摂社 王子社  末社 若宮  拝殿  護摩堂
後代という所にある。1村の産土神である。古、奈良より灌頂したと言い伝える。この社は山本氏が領主のとき氏神であったことからその遺形で祭祀の儀は今なお盛んである。一瀬踊という踊りがある。歌の辞は領主を祝した辞である(そのことは詳しく朝来村の条下に述べている)。

市瀬王子社  境内山周24間
清水小山にある。『御幸記』に一瀬王子とあるのがこれである。拝殿がある。

一ノ瀬王子
  熊野九十九王子:一ノ瀬王子
  熊野旅行記:藤原定家『後鳥羽院熊野御幸記』現代語訳3

小祠4社
 天神社    社地周50間、下平野という所にある。
 岩淵弁財天社 社地周32間、畠山という所にある。
 弁財天社   社地周46間、上尾という所にある。
 地主社    社地周28間、宮の尾という所にある。

興禅寺 大雄山  境内山方4町
   禅宗関山派京妙心寺末
 本堂(7間、5間)  観音堂  僧坊  鐘楼堂
中の岡という所にある。

小堂3宇
 文殊堂   上平野という所の山上にある。
 観音堂   境内山周82間、清水谷という所にある。
 雨乞地蔵堂 境内山周28間、足谷峠という所にある。

龍松山城址
村の北8町ばかり、そこから登ること3町ばかりにある。本丸趾東西40間、南北28間。掘趾2町40間、幅5間。南北に井戸がある。馬井戸趾方5間。玉置氏の系譜に天正9年のころ山本主膳康忠が当城の主となり、その伯父玉置圖書直俊が後見となって共に当城に住す。天正15年杉若越後守のために落とされたといっている。城から川を隔てて下屋敷の趾がある。山本氏は朝来7ヶ村、富田荘14ヶ村、栗栖川、四番、田辺、三栖、万呂村、日高郡の塩屋村、萩原村などを領すとある。

地士   中村伝左衛門

和歌山県西牟婁郡上富田町市ノ瀬

読み方:わかやまけん にしむろぐん かみとんだちょう いちのせ

郵便番号:〒649-2107

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牟婁郡:紀伊続風土記