西川村:現・和歌山県東牟婁郡古座川町西川
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西川村:紀伊続風土記(現代語訳)
西川村 にしかわ
田畑高 324石3斗5升7合
家数 52軒
人数 266人
下露村の北26町にある。
○十二社権現社 境内平地周108間
村中にある。添野川村・平井村・井野谷村・下露村・西川村の5ヶ村の産土神である。承久3年に源清重が当村に蟄居し、当村を開墾し、元仁元年に当社を勧請した(家系並びに棟札写)。応永元年のその裔の西河荘司源繁氏再建の棟札、元亀元年の西河荘司源繁清造営の棟札などがある。今、村中の農民源大夫という者がその後裔という。
神主 朝日主馬
その□は詳らかでない。慶長14年に吉田家から与える伝受書を所蔵する。代々神職を勤める。
○宝光寺 他定山 禅宗臨済派海部郡由良興国寺末
村の山手にある。本堂(7間半に5間)
○旧家 源大夫
多田満仲の裔、村上蔵人顕清四代孫刑部少輔清重の後裔である。清重は承久3年に勅に応じて官軍に属したが、防戦利がなくて官軍ことごとく敗れ、従兵73人を従えて当郡の潮埼荘の大島浦に来たが、また朝敵のために破られて当荘玉山という所に蟄居した。後に山中を出て当村を開墾して自ら近郷を領して西河荘司と称した。元仁年中に六社権現を勧請し、寺1宇を建立した。後、代々信仰厚くて応永元亀などに再興した。
その孫清定が永和年中に南朝に属し義兵を挙げた。そのときの□旗4流を今も所持する。その裔源之丞が慶長年中に浅野家からの「近郷にて売買の材木の口を取ることを前々のように許す」という文書がある。そのことは今は絶えた。土地の人はこの家を呼んで坊という。今は大いに凋落したが、余風はなおある。
和歌山県東牟婁郡古座川町西川
読み方:わかやまけん ひがしむろぐん こざがわちょう にしかわ
郵便番号:〒649-4561
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