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七川谷郷:紀伊続風土記(現代語訳)


七川谷郷 しつかわだに 全8ヶ村

七川谷郷全8ヶ村、東は色川郷及び小川谷郷に界し、西は大塔峯に続き、市鹿野荘城川荘と山峯を界とし、南は三前郷に続き、北は小口川郷四村荘と山峯を堺とする。その広さは東西4里、南北5里半。

この郷は古座川の上流にあって川筋は南北に通って松根村の奥に至り、乾(※北西※)の大塔峯の溪をもって川の源の窮まりとする。松根村から大塔峯の山足に至るまでおおよそ4里ばかり。土地の人でまれに至る者がある。それより上は人跡絶えて知る者はなく、じつに深奥の地である。

しかしながら市鹿野荘木守村の辺と比べれば、溪真は通ることができて大塔の麓まで人が行くことができるのはまだよく開けているといえる。これを中央の竪通りとして西に平井村の谷があり、また添野川村の谷がある。東に成川村の谷がある。みな左右の枝谷である。これを総じていうと郷中は寒極の深山であるといえる。しかしながら三前郷大川村の小名真砂まで舟の往来があるのでこのように開けたように見える。谷深く水多く土山で樹木が鬱蒼と茂り、三前郷の川の左右の石山のようなのではないので材木を出すことができるので民の産業はやや緩やかであるという。

七川谷の意味は詳らかでない。考えるに、七川谷を北に向かって越えるとに受け川郷に行く所に静川村がある。那賀郡葛城山中にも静川荘がある。有田郡山保田荘に室川(しつかわ)がある(室川は今は「むろかわ」と称するが、字音では「しつかわ」である。おそらくは古くは「しつかわ」といったのであろう)。いずれもみな深山の中である。これによって考えると、七川といい静川といい室川というのは元はみなひとつで少しずつ転じて称も変わり文字も変わったが、みなひとつの意味であろう。だとすると七川とは源に近い深山の中の川をいう名であろうか。その意味はいまだ思い得ない。なお考えるべきである。

七川谷郷8ヶ村

 


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牟婁郡:紀伊続風土記