高瀬村:現・和歌山県西牟婁郡白浜町富田
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高瀬村:紀伊続風土記(現代語訳)
高瀬村 たかせ 小名 袋(ふくろ)
田畑高 163石5斗6升8合2勺
家数 82軒
人数 382人
芝村の東5町にある。熊野大辺路街道で富田坂の北の麓に村居する。小名袋は村の坤(※西南※)、山を隔てて15町にある。その地袋谷川巽(※東南※)より来て海に入る。人家はその海口にある。礒山の出崎両方相続いて浦の形は袋のようで舟繋の地である。これを袋の湊という。その西は小湾をなし、海上に巌が2つ並んでいる。これを対の浦という。当村の辺で荒砥を産し諸国に売り出す。
○飛鳥飛龍権現社 境内山周4町
小名円光という所にある。昔、草堂寺の僧洞外という者が那智より勧請したという。拝殿がある。
○小祠2社
川口明神社 社地山周40間。
稲荷社 社地除地。
○草堂寺 南昌山 境内周88間
禅宗虎関派東福寺末
本堂(8間半、6間) 観音堂 地蔵堂
鐘楼 僧坊(7間、7間半) 鎮守3社
小名円光という所にある。堂舎が備わっている。古は真言宗で円光寺といったのを慶安元年村の中の中岩久 の弟洞外という者が再興して寺号を草堂寺と改めて禅宗となす。一条家九条家が洞外を帰依して祈願所とする。また本寺より郡中の虎関一派の派頭となす。虎関の木像1体を授かって毎年7月24日一派曾合する。什物が数品ある。古、真言宗であったゆえに勧請道具、その他真言宗の仏具も多い。寛文年中に領主より永代山林1ヶ所の寄付があった。本堂の障子はみな丸山応挙及びロ蘆雪の書である。観るべし。
○要害山城趾
村の東にある。上段東西41間、南北5間。下段東西7間、南北4間。城主は詳らかでない。
○旧家
熊野別当範智の子範秀の後裔で吉田村六郎右衛門と同家である。浅野左衛門佐からの状を所有する。
○地士 竹中半九郎
○孝子
村民の長兵衛という者の母、その舅並びにその母に孝があり、安永3年領主よりこれを賞して米10俵を与える。○村民の勘兵衛という者は夫婦でその母及び妻の母に仕えて孝を尽くす。安永3年領主より夫婦の者へ精米を与えて褒賞する。
和歌山県西牟婁郡白浜町富田
読み方:わかやまけん にしむろぐん しらはまちょう とんだ
郵便番号:〒649-2325
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