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古座浦:紀伊続風土記(現代語訳)


古座浦 こざ

九龍島

 田畑高 32石4斗8升7合
 家数  315軒
 人数  1242人

西向浦の東、古座川の海口にあって西向浦と川を隔てて相対する。慶長検地帳に古座ノ湊とある。村の名前の意味は、村の西に神川村があり、古座はおそらくは神座の転で、これもまた重山瀧姫神によった名であろう。

この地は海口にあって地形は古と異なる。古の海口は今の神川村で、その地はいま水尻という小名が残っている。また今の川の流れより横に山に添って神川村まで古の川の流れの形が残って土地はやや痩せている。後世海口が変わり東に片寄って今のようになり西向浦などの名が起こったのだ。

これより川上の両岸にある諸村は川の曲折に従って村居するので、東西の称で両側を分かちがたい。よって下より上に向かって登るのに従って、一方は左、一方は右と呼んで両岸を分かつものがある。

小祠3社
 若宮    村中にある。
 若宮龍王社 社地 方1町、村の端にある。社は方3尺。
 衣美須社  社地周5間、村中にある。社は4尺に3尺。

清源寺  城塲山 禅宗臨済派相州孝雲寺末
 本堂(4間、6間)  観音堂  鐘楼  僧坊
村の山手にある。この寺地は高河原摂津守の城跡である。ゆえに山号を城塲山と呼んでいる。

善照寺  城塲山 浄土真宗西本願寺末
 本堂(方7間)  僧坊
村中にある。開基を山本善内之祐弘忠という。本願寺が織田氏と合戦のとき弘忠の兄兵衛尉弘朝が戦死した。弘忠は八木与十郎という者を討ち取り、剃髪して善空と称し、天正13年に当寺を建立し、善内寺と号した。天正中の文書並びに仏画、蓮如の名号などを伝えている。

阿弥陀寺  長栄山 浄土宗鎮西派知恩院末、村中にある。

黒島
海口より未の方(※南西微南※)の海の中11町にある。周囲6町余り。島に弁財天社がある。穴が2つある。あかり穴(長さ50間、高さ4〜5間、干潮には人が往来する)、暗がり穴(長さおよそ40間、高さ1間ばかり)という。

九龍島
  熊野の観光名所:九龍島と鯛島

旧家     高瓦氏
高瓦氏は三位中将平維盛の遺孫にして代々潮埼荘に居住する。中古高瓦摂津守は伊勢国司北畠具教に仕えた。奥熊野の長島郷の中の坊並びに九鬼氏などは国司の下知に従わず摂津守はしばしば先駈けして軍功があった。(※中略※)子孫はみな村中にいる。高瓦はすなわち高河原で、地名を以て称するのだ。中湊村に摂津守の墓がある。

鯨漁

当村及び太地村、奥熊野の佐野荘の3ヶ所でこの漁をなすことは太地村の条に詳らかに載せてある。鯨に上り鯨・下り鯨というものがある。東から西に行くのを上り鯨、西から東に行くのを下り鯨という。太地村では冬に上り鯨を捕るのを専らとし、当地では2〜3月の頃に下り鯨を捕るのを専らとする。

和歌山県東牟婁郡串本町古座

読み方:わかやまけん ひがしむろぐん くしもとちょう こざ

郵便番号:〒649-4115

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牟婁郡:紀伊続風土記