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串本浦:紀伊続風土記(現代語訳)


串本浦 くしもと

 田畑高 168石7斗6升8合
 家数  350軒
 人数  1442人

二色村の巽(※東南※)25町にある。二色村の小名袋と海湾を界とする。東は海を堺にして大島に向かう。この浦より坤(※西南※)50町ばかりに差し出ているのを潮ノ御崎という。浦の名前は、御崎に越す本という意味である。土地が広くて家数が多く、漁事を専らとする。東西両面に海を受けているので漁事の利が多くて漁者に福家の者が少なくない。潮風がはなはだ烈しい土地なので、戸々に寒竹を植えて各一□をしめ、家居は普通の漁村と異なる。

本ノ宮  境内周38間
 祀神 住吉明神・少彦名命・熊野権現 3社合殿(表行1丈5尺余り)
 拝殿
村中の字笠島にある。大島・出雲浦・串本浦3ヶ村の氏神で、新宮の末社である。土地の人は塩崎本ノ宮という。御崎明神の古の社地で、ここより今の御崎の地へ遷座なさったので本の宮という。

いま御崎明神は1社であるが、当社は3社であることから、ある説では住吉三所とし、また熊野三所権現とする。いま考えるに中央の社は御崎明神ですなわち少彦名命、1社は住吉三所、1社は熊野三所であろう。住吉は海をお守りになるので勧請し、熊野は中世この辺は那智の神領であったので祀ったのであろう。今はこれを定説とする。

またあるいは初めに祀った少彦名命神は潮御崎に遷し、その旧地に熊野三所権現を祭ったのであろうというが、他所に本ノ宮と称する例は多く、みな本の神を祭る。『寛文記』にはただ本の神1座とする。よって前の説を正しいとすべきだ。

神領は昔は高7段あったが、天正の乱後、浅野家の時から今に至って神領2石を寄付される。
            神主  小原右近

無量寺 錦江山  禅宗虎関派京東福寺末
 本堂(7間半、6間)  観音堂  僧坊  鐘楼堂
村中にある。山林が2ヶ所ある。

地士3人
          矢倉直蔵
          神田佐七
          田島平六

和歌山県東牟婁郡串本町串本

読み方:わかやまけんにしむろぐん くしもとちょう くしもと

郵便番号:〒649-3503

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牟婁郡:紀伊続風土記