䰗野川村:現・和歌山県東牟婁郡串本町䰗野川
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䰗野川村:紀伊続風土記(現代語訳)
䰗野川村 くじのがわ 小名 橋杭(はしくい)
田畑高 376石2斗7升6合
家数 84軒
人数 388人
二色村の小名袋の艮(※東北※)21町にある。谷が狭くて渓流が袋に至って海に入る。当村は大辺路往還であるが、この道は険しくて往来は少なく、旅人はみな小名橋杭の方を往来する。小名橋杭は本村の巽(※東南※)17〜18町にある。村居は海に面して大島に向かっている。橋杭の名は立岩より起る。下に詳らかに記す。
○小祠3社
八王子社 村中にある。
八幡宮 村中にある。
大明神社 村中にある。
○徳泉寺 松林山 禅宗臨済派若山禅林寺末
村中にある。堂(5間半、4間)、僧坊がある。
○橋杭岩
小名橋杭の東、海の中にある。また立岩ともいう。陸から20間を始めとして順次に海上に立ち並ぶことは、じつに橋杭を並べるがごとく海の中6〜7町の間に長くつながりつづく。その数は全21。
海底の深さは測ることができず、海面から出る岩の高さは3間ばかりから8間ばかりにいたるものがあり、その海底からの高さを想像できる。杭と杭の間の距離はある所は7〜8間、ある所は10間余り。配置がよく、峻しく直立し、抜刀をもって削ったかのようである。まことに鬼工である。
相伝えて、太古この地から大島へ橋を架け渡したときの橋杭が残ったのだという。古座浦の古老が相伝えていうには、先年、津波のとき、海水がいったん沖中に集まり、大島の辺りは海水が涸れたが、島の形を望むと、その下一面に空隙の所があって、橋杭の上に橋板を置いた形があったという。そうであれば、上古は大島まで陸路が続いたかはいざ知らず、遠く差し出ている地が波に砕かれてその遺っているものを橋杭というのかもしれない。穴門の例もあるので土地の人の伝えは一概にでたらめとはいいがたい。
和歌山県東牟婁郡串本町鬮野川
読み方:わかやまけんにしむろぐん くしもとちょう くじのかわ
郵便番号:649-3511
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