近露村:現・和歌山県田辺市中辺路町近露
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近露村:紀伊続風土記(現代語訳)
近露村 ちかつゆ 小名 相坂峠(おおさかとうげ) 湯田和(ゆがたわ)
田畑高 616石4斗9升7合
家数 136軒
人数 393人
栗栖川荘の高原村の東2里11町にあって熊野街道の駅である。和田村からは北の方1里3町で小名相坂峠の東の麓、広井川の上流に村居する。当村は荘中では少し開けていて村居も多い。村の端に堰がある。上露・下露・露谷などと同じく堰より起こった名であろう。
小名相坂峠は本村の西、熊野往還にある。湯田和はその西にあって大内川村領との堺である。共に茶店が1軒ある。
○四社明神社 境内周108間
祀神 春日明神(神体は木像) 拝殿
末社 若宮
村の中にある。1村の産土神である。
○大坂王子碑
相坂峠にある。往還の側の森で社はなく碑を建てて銘に大坂王子と記してある。『御幸記』には大坂本の王子とある。
熊野旅行記:藤原定家『後鳥羽院熊野御幸記』現代語訳3
○若一王子権現社 境内周40間
村の中にある。1村の産土神で、神体は木像である。『御幸記』には近露王子とあるのはこれである。社前に芝があって頓宮の跡という。
熊野旅行記:藤原定家『後鳥羽院熊野御幸記』現代語訳3
○見松寺 万覚山 禅宗曹洞派新宮宗応寺末、村の中にある。
○観音寺 月海山 禅宗臨済派東福寺末
村の中にある。寺内に古い墓が3基ある。
天正十三酉七月
観音寺但馬
塩見峠於戦場討死
天正十三乙酉七月二十日
野長瀬左近尉盛秀
紀州北山之軍に生害
天正十三酉七月
田中十太輔秀時
塩見峠於戦場討死
上記の3碑は、あるいは後に建てたものであろう。
○大塔森
村の西にある。峠まで坂道13町である。栗栖川荘の福定村と峯を境とする。同名の高山荘堺にあるので土地の人はこれを近露大塔という。
○宝篋印塔
村の西にある。往還に道しるべの石があって、花山法皇が熊野御幸のとき御経をお収めになった所という。今は古の塔を失って道しるべの石をそういうのであろう。
○広見川
荘論に載せる。
○旧家
野長瀬氏は源義家の子、河内守義忠の後裔である。
(続太平記)大塔宮が南都に落ちて紀州に至り和州十津川に至り竹原八郎の館に潜匿する。熊野別当の兵を避けて吉野に移らせられる。道路がふさがって通じない。 (※略※)
和歌山県田辺市中辺路町近露
読み方:わかやまけん たなべし なかへちちょう ちかつゆ
郵便番号:〒646-1402
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